他人を殺し、その名前を奪い、その人生を生きる。
では、何十年も他人として生きてきた男の「本当の自分」は、どこにあるのか。
2004年公開の『テイキング・ライブス』は、アンジェリーナ・ジョリー演じるFBI捜査官が、
被害者を殺したあと、その人物になりすまして人生そのものを奪っていく連続殺人犯を追うサイコ・サスペンスである。
猟奇殺人、プロファイリング、正体不明の犯人、そして捜査官と事件関係者の危うい関係。
題材だけを並べれば王道のサスペンスだが、本作には「人間のアイデンティティとは何なのか」
という不気味なテーマが流れている。
犯人は金を奪うためだけに殺すのではない。
相手の名前、経歴、生活、社会的な立場まで奪い、自分自身をその人物へと作り替えていく。
そして、その男を追うのが、人の行動や心理を読み解くことを仕事にしているFBI捜査官イリアナ・スコットだ。
人を見るプロであるはずの彼女は、本当に目の前にいる人間を見抜くことができるのか。
◆作品情報
| 作品名 | テイキング・ライブス |
|---|---|
| 原題 | Taking Lives |
| 公開年 | 2004年 |
| 監督 | D・J・カルーソー |
| 原作 | マイケル・パイ『人生を盗む男』 |
| 上映時間 | 103分 |
| 製作国 | アメリカ/カナダ |
| ジャンル | サスペンス/犯罪/サイコスリラー |
◆キャスト
イリアナ・スコット/アンジェリーナ・ジョリー
FBIの特別捜査官。犯罪現場や遺体の状態から犯人の心理を読み解くプロファイリングの専門家。
モントリオール警察から協力を求められ、連続殺人事件の捜査に加わる。
ジェームズ・コスタ/イーサン・ホーク
殺人事件を目撃した男性。
捜査に協力する中でイリアナとの距離を縮めていく。
アッシャー夫人/ジーナ・ローランズ
マーティン・アッシャーの母親。
19年前に死んだはずの息子を街で見かけたと警察に訴える。
ハート/キーファー・サザーランド
コスタと接点を持つ謎めいた男。
その存在が捜査を大きく揺さぶっていく。
パーケット/オリヴィエ・マルティネス
モントリオール警察の刑事。
外部からやって来たイリアナに警戒しながらも捜査を進める。
◆あらすじ
他人の人生を奪う少年
物語は1983年のカナダから始まる。
16歳の少年マーティン・アッシャーは旅の途中で、
自分と年齢も体格も近い少年マットと出会う。
しかし、その出会いはマーティンにとって友情の始まりではなかった。
マーティンはマットを殺害し、身元が判別できないよう遺体の顔を潰す。
そして彼の身分を奪い、
「マットとして生き始める」。
それは一度だけではなかった。
マーティンはその後も人を殺し、その人物の名前や生活を奪いながら、
別人として生きることを繰り返していく。
20年後、モントリオール
建設現場から一体の遺体が発見される。
モントリオール警察は事件解決のため、FBIに協力を依頼。
派遣されてきたのがイリアナ・スコットだった。
イリアナはFBIの特別捜査官であり、
犯罪現場と遺体の状況から犯人像を浮かび上がらせる
プロファイリングの専門家だった。

直感ではなく観察と分析で真相へ迫る、捜査の中核を担う存在だ
現場に到着したイリアナは、遺体の近くに寝転び、
犯人が何を見ていたのか、どんな心理状態だったのかを想像する。
独特の捜査方法に地元刑事たちは戸惑うものの、
イリアナは少しずつ犯人像へ近づいていった。
そんな中、新たな殺人事件が発生する。
その現場には目撃者がいた。
画商のジェームズ・コスタである。
イリアナはコスタから詳しく話を聞き、犯人の似顔絵を作成。
同じ頃、警察には一人の老婦人が現れる。
彼女はこう証言した。
「19年前に死んだはずの息子を見た」
その息子こそ、マーティン・アッシャーだった。
▼ここから先は結末までのネタバレを表示
マーティンは誰なのか
捜査を進めたイリアナたちは、
マーティンが殺した人間になりすましながら人生を乗り換えていると考える。
そして、事件の目撃者となったコスタ自身が、
次にマーティンから狙われる可能性が高いと判断する。
警察はコスタを守りながら犯人を誘い出そうとするが、
ここに本作最大の仕掛けが隠されていた。
ジェームズ・コスタこそ、マーティン・アッシャー本人だったのである。
コスタは被害者でも目撃者でもなかった。
自ら事件の中心へ入り込み、
警察やイリアナに「自分は狙われている側だ」と信じ込ませていた。
イリアナが犯した最大の失敗
さらに厄介なのは、イリアナ自身がコスタに惹かれてしまったことだ。

彼女の感情の揺らぎこそが、このサスペンスをより危うくしていく
犯罪者の心理を分析する専門家でありながら、
一人の人間としてコスタを信用し、肉体関係まで持ってしまう。
一方、警察は別の男をマーティンだと思い込み、
事件が解決したと判断する。
しかしアッシャー夫人は遺体を確認して、
「これは息子ではない」と言い切る。
そして彼女は病院のエレベーターでコスタと遭遇。
実の母親だけは、どれほど姿や名前を変えても
マーティンを見抜いていた。
コスタ=マーティンは母親を殺害する。
ここでイリアナはようやく、
自分が愛した男こそ長年追い続けていた殺人鬼だったことを知る。
7か月後
イリアナはFBIを辞めさせられたように見え、
妊娠した大きな腹を抱えて一人で暮らしていた。
やがてマーティンが彼女の前に現れる。
自分との子供を妊娠していると思い込んだマーティンは、
イリアナを追い詰め、ハサミを彼女の腹へ突き刺す。
しかし――。
腹から血は出なかった。
妊娠そのものが、マーティンを誘い出すための罠だった。
腹の膨らみは偽物。
FBIを追われたという話も偽装だった。
今度はイリアナがマーティンを欺いていたのである。
イリアナはハサミを奪い、マーティンに突き刺す。
何十年にもわたり他人の人生を奪い続けた男は、
最後には、自分が騙される側となって命を落とした。
◆考察と感想
犯人は分かってしまっても、面白さはそこだけではない
『テイキング・ライブス』は、典型的な「犯人は誰だ?」型のサスペンスに見える。
そのため、途中でコスタを怪しいと感じた人にとっては、
正体そのものはそれほど大きなどんでん返しには感じないかもしれない。
特にイーサン・ホークの演技を注意深く見ていると、
コスタには妙な危うさがある。
弱々しく見える瞬間と、妙に落ち着いている瞬間の差が大きい。
しかし、本作の面白さは
「誰が犯人か」だけではないと思う。
もっと気持ちが悪いのは、
マーティン・アッシャーには自分自身の人生が存在しない
ということだ。
他人にならなければ生きられない男
マーティンは人を殺す。
しかし普通の連続殺人犯とは少し違う。
彼は殺した後、その人物の人生を利用する。
名前を使う。
仕事を使う。
社会的信用を使う。
そして、その人物が積み上げてきた人生そのものを自分のものにする。
これは単純な殺人より、ある意味では恐ろしい。
人間が何十年もかけて作ってきた
「私はこういう人間だ」という存在そのものを、
マーティンは一瞬で奪ってしまうからだ。
しかし考えてみれば、もっと哀れなのはマーティン自身なのかもしれない。
他人の人生を何度奪っても、
そこにはマーティン自身の人生がない。
誰かを殺さなければ次の自分になれない。
自分自身として生きることができない。
他人になり続けることでしか、
自分の存在を維持できない男なのである。
人を見るプロが、人を見誤る
この映画で特に皮肉なのが、主人公イリアナの存在だ。
彼女は犯罪者の心理を読み解くプロである。
犯行現場を見れば犯人の行動を想像し、
遺体の状態から心理を分析する。
映画冒頭で、彼女が遺体のそばに寝転がる場面は、
イリアナという人物を非常に分かりやすく表している。
犯人の目線に自分を置き、
相手の心理へ入り込もうとする捜査官なのだ。
ところが、その彼女が一番近くにいた犯人を見抜けない。
しかも単に騙されたのではなく、
コスタを信用し、惹かれ、関係まで持ってしまう。
ここは捜査官として考えれば明らかな失敗である。
ただ、それがあるからこそイリアナは単なる
「何でも見抜く天才捜査官」ではなく、人間に見える。
人間は、離れた場所から他人を分析しているときには冷静でいられる。
しかし自分自身の感情が入った瞬間、
同じようにはいかなくなる。
恋愛でも仕事でも同じだろう。
他人のことなら「それはおかしい」と分かるのに、
自分のことになると都合のいい理由を作ってしまう。
イリアナほどのプロでさえそうなのだ。
イーサン・ホークの豹変が一番怖い
本作で最も印象に残ったのは、やはりイーサン・ホークだ。
前半のコスタは、どこか頼りなく見える。
殺人事件を目撃して動揺し、
犯人から狙われている被害者側の人物にしか見えない。
ところが正体が判明すると、表情そのものが変わる。
同じ人間を演じているのに、
それまで見えていた「弱さ」がすべて演技だったように感じられる。
この変化がかなり不気味だ。
怪物のような殺人鬼ではなく、
普通に会話ができ、笑い、恋愛までできる男だから怖い。
マーティンは「狂っている人間」に見えない。
むしろ社会の中へ自然に溶け込む能力が異常に高い。
だからこそ何十年も他人の人生を生き続けることができたのだろう。
ラストはかなりハリウッド的だが、気持ちはいい
終盤の妊娠偽装は、冷静に考えればかなり大胆な作戦だ。
それでも映画としては、この逆転劇が非常に気持ちいい。
前半から中盤まで、マーティンは他人を欺き続けてきた。
被害者になりすまし、目撃者になりすまし、
イリアナの感情まで利用した。
ところが最後だけは立場が逆転する。
今度はイリアナが人生そのものを偽装し、
マーティンを罠へ誘い込む。
人生を偽装してきた男が、偽装された人生に騙される。
この構図はよくできている。
103分という上映時間も長すぎず、
犯罪サスペンスとして最後までテンポよく見ることができた。
『セブン』や『羊たちの沈黙』ほど、
犯罪者の思想や心理を深く掘り下げる作品ではない。
それでも、
アンジェリーナ・ジョリーとイーサン・ホークという二人の存在感、
暗いモントリオールの雰囲気、
そして「他人の人生を奪って生きる」という設定のおかげで、
2000年代のサイコ・サスペンスらしい面白さを十分に味わえる作品だった。

momoko
「イーサン・ホーク、まだ若くて渋い感じがないので別人に見えたわ。役どころはさすがに隅に置けない感じだったわね。」

yoribou
「それを言ったら、アンジーも結構若い。小娘感があるのに、特別捜査官なんて優等生。」
◆似ている作品・おすすめ映画

【映画】真実の行方(1996年)
無害に見える人物を信じた主人公が、その演技と偽りの人格に翻弄される心理サスペンス。
信頼していた相手の「本当の顔」が反転する怖さが『テイキング・ライブス』と似ている。

【映画】スプリット(2016年)
一人の男がまるで別人のような人格を次々と見せるサイコスリラー。
「今、目の前にいるのは誰なのか」という人物への疑念と緊張感が『テイキング・ライブス』と似ている。
◆もて男目線で考察
マーティンという男は、一見すると非常に高い適応能力を持っている。
他人の話し方や生活を観察し、その人物になりきり、周囲から信用まで得てしまう。
だが、これは魅力とは正反対だと思う。
本当に魅力のある男は、誰かの肩書きや人生を借りなくても、
「自分はこういう人間だ」と自分の足で立つことができる。
他人からどう見られるかを意識することは大切だ。
服装を整え、話し方を磨き、相手の気持ちを読むことも必要だろう。
しかし、それが「他人に好かれるために別人を演じる」ことになった瞬間、
どれだけ外側を取り繕っても中身は空っぽになる。
魅力とは誰かになることではなく、自分という人間の完成度を上げることだ。
他人の人生を次々と手に入れながら、
最後まで自分自身を持てなかったマーティンを見ると、
その違いがよく分かる。
◆この映画から得た教訓
他人になろうとするより、自分自身の人生を積み上げた方が、最後にはずっと強い。
◆評価
| 項目 | 点数 | コメント |
|---|---|---|
| ストーリー | 17 / 20 | 他人の人生を奪う設定が秀逸。 中盤から一気に加速する。 犯人を読める点は惜しい。 |
| 演技 | 18 / 20 | イーサン・ホークの豹変が強烈。 アンジェリーナ・ジョリーも存在感十分。 二人の距離感が物語を支える。 |
| 映像・演出 | 17 / 20 | 暗く冷たい映像が印象的。 犯罪現場の不気味さも良い。 2000年代スリラーらしい質感。 |
| 感情の揺さぶり | 18 / 20 | 信用していた人物の豹変が怖い。 母親殺害の場面も強烈。 ラストの逆転には爽快感もある。 |
| テーマ性 | 17 / 20 | アイデンティティという題材が面白い。 他人を生きる男の空虚さが残る。 心理面をもう一段掘ってほしかった。 |
| 合計 | 87 / 100 | 犯人の正体以上に、他人の人生を奪って生きる という設定が面白い。 二人の主演俳優の魅力で最後まで見せ切る サイコ・サスペンス。 |
◆総括
『テイキング・ライブス』は、
連続殺人犯を追い詰めていく王道のサイコ・サスペンスである。
途中で犯人に気づいてしまう可能性はある。
それでも、コスタが単なる殺人鬼ではなく、
殺した人間の人生そのものを奪って生きてきた男
という設定が最後まで作品を面白くしている。
そして何より、
イーサン・ホークの前半と後半の印象の変化がいい。
「頼りなさそうな目撃者」が一転し、
同じ顔のまま恐ろしい犯罪者に見えてくる。
あの変化だけでもキャスティングは成功だったと思う。
アンジェリーナ・ジョリー演じるイリアナも完璧な捜査官ではない。
自分の感情によって判断を誤り、一度はマーティンに完全に騙される。
だからこそ、最後に彼女がマーティン以上の「偽装」で騙し返す展開が効いてくる。
他人の人生を盗み続けた男が、
最後は偽物の人生に騙されて終わる。
少々強引でも、サスペンス映画としてはきれいな決着だった。
2000年代の少し暗く、冷たく、猟奇的な犯罪サスペンスが好きなら、
今見ても十分楽しめる一本である。
◆今回の視聴環境
配信:Netflix
音声:日本語吹替
モニター:IRIS OHYAMAモニター
ヘッドホン:nwmヘッドホン
今回はNetflixの吹替版を、
IRIS OHYAMAモニターとnwmヘッドホンの組み合わせで視聴した。
派手なアクションより、会話や物音によって不安を作っていく場面が多い作品なので、
自宅で集中して観るサスペンスとして相性のいい一本だった。
◆映画の余韻を楽しみながら、こちらもどうぞ
今回『テイキング・ライブス』は、Netflixの吹替版を
IRIS OHYAMAのモニターで視聴しました。
映画を自宅で観ることが多い自分にとって、
PCモニターはブログを書くための作業道具であると同時に、
映画を楽しむための大切な視聴環境でもあります。
特に本作のようなサスペンスは、
派手な映像だけではなく、
暗い室内や人物の表情、わずかな視線の変化まで追いながら観たい作品です。
今回紹介するIRIS OHYAMAの27インチモニターは、
フルHD・100Hz・非光沢で、
スピーカーも内蔵されています。
「映画を見るためだけのテレビを置くほどではないけれど、
PC作業と動画視聴を1台でまとめたい」という人には、
こうしたモニターは使いやすい選択肢だと思います。
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