『正欲』は、朝井リョウの同名小説を岸善幸監督が映画化した作品です。稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗らが出演。息子の不登校に悩む検事、広島で働く女性、学園祭の準備を進める大学生たちの日常を描きます。
結末を含むあらすじは折りたたみにしています。
「感想・考察」以降はネタバレを含みます。
◆作品情報
| 作品名 | 正欲 |
|---|---|
| 英題 | (Ab)normal Desire |
| 公開日・国 | 2023年11月10日/日本 |
| 上映時間 | 134分 |
| ジャンル | ヒューマンドラマ |
| 監督・編集 | 岸善幸 |
| 脚本 | 港岳彦 |
| 原作 | 朝井リョウ『正欲』(新潮文庫刊) |
| 主な出演 | 稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、 山田真歩、宇野祥平、渡辺大知ほか |
| 主題歌 | Vaundy「呼吸のように」 |
| 配給 | ビターズ・エンド |
| 公式サイト | 映画『正欲』公式サイト |
| 視聴環境 |
配信サービス:U-NEXT 映像:IRIS OHYAMA・I-O DATAモニター 音響:Edifierスピーカー |
◆主な登場人物
- 寺井啓喜/稲垣吾郎
横浜の検事。不登校の息子への接し方をめぐり、妻と衝突しています。
自分が正しいと信じる生き方を、家族にも求めてしまいます。 - 桐生夏月/新垣結衣
広島のショッピングモールにある寝具売り場で働く女性。
人に話せない性的な嗜好を抱え、周囲と距離を置いて暮らしています。 - 佐々木佳道/磯村勇斗
夏月の中学時代の同級生。地元に戻ったことで夏月と再会し、
長年隠してきた思いを共有するようになります。 - 諸橋大也/佐藤寛太
大学のダンスサークルに所属する学生。
人目を引く存在でありながら、他人に明かせない孤独を抱えています。 - 神戸八重子/東野絢香
学園祭で多様性を掲げた企画に取り組む大学生。
男性への恐怖を抱える一方、大也には特別な関心を寄せます。
◆予告編
◆あらすじ
同じ社会に暮らしながら、違う孤独を抱える人々
横浜で検事として働く寺井啓喜は、息子の不登校を受け入れられずにいました。学校へ通ってほしい父親と、学校以外の居場所を探そうとする妻と息子。家族を心配する気持ちは、次第に互いを責める言葉へと変わっていきます。
一方、広島で暮らす桐生夏月は、仕事と自宅を行き来する日々を送っています。周囲の人々が自然に交わす恋愛や結婚の話にも、うまく加われません。誰にも打ち明けられない自分の一面を隠しながら、日常をやり過ごしていました。
大学生の神戸八重子は、学園祭で「ダイバーシティフェス」を企画しています。出演を依頼したダンスサークルで出会った諸橋大也に惹かれますが、彼もまた、人には見せない苦しみを抱えていました。

同級生との再会が、閉ざしていた記憶を動かす
夏月は、中学時代の同級生・佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知ります。二人には、ほかの誰にも話せない記憶がありました。佳道との再会は、諦めていたはずの期待と、置き去りにされる不安を夏月の中に呼び起こします。
自分だけが世間から取り残されているのか。それとも、この人なら分かってくれるのか。互いの本心が見えないまま、夏月と佳道の距離は揺れ動いていきます。
ネタバレありのあらすじ・結末を読む(クリックで開閉)
二人を結びつけていた、水への欲望
夏月と佳道は、ともに水に性的な興奮を覚えるという嗜好を持っていました。中学生の頃、勢いよく噴き出す水を前にした二人は、自分と同じものを求める人がいることを感じ取っていたのです。
再会後、佳道が周囲になじんでいるように見えたことは、夏月を深く傷つけます。しかし、佳道もまた、自分を隠して生きることに疲れ果てていました。将来への希望を失っていた二人は、年の瀬に互いの苦しみを打ち明けます。
結婚は、一緒に生きていくための約束
自分の感覚を否定されずに話せる相手と出会い、二人の日常は変わり始めます。佳道は夏月に結婚を提案。二人は横浜へ移り、夫婦として暮らしていきます。
それは、一般的な恋愛の延長として描かれる結婚とは違います。自分を偽り続けなくてもよい相手と、これからを生きていくための選択でした。外からは見えない関係の意味が、二人には確かにあります。

ようやく得たつながりが、事件によって疑われる
佳道は、水の動画を通じて、自分たちと同じ嗜好を持つと思われる人物に連絡を取ります。その相手が大也でした。彼も孤独の中にいるのではないか。佳道は、かつての自分を重ねるように接点を求めます。
佳道と大也は、ネットで知り合ったもう一人の男性・矢田部と水の動画を撮影します。ところが、矢田部の児童に対する性犯罪が発覚し、一緒にいた二人にも疑いが向けられます。
事件を担当する寺井には、水そのものに惹かれるという供述が理解できません。一方、大也と佳道は、自分たちの説明が最初から信じてもらえないことに直面します。
結末――夏月が伝えたかったこと
寺井と面会した夏月は、自分の想像にないからといって、実際に生きている人の存在まで否定できるのかと問いかけます。そして佳道に、自分はいなくならないと伝えてほしいと頼みます。
映画は、二人のその後や事件の処分を明確に決着させてはくれません。残されるのは、離されても相手を見捨てないという夏月の意思です。理解を拒む視線の前で、二人のつながりだけは失わせない。その思いを響かせて、物語は終わります。
◆感想・考察(ネタバレあり)
『正欲』という題名は、誰の「正しさ」を問うのか
この映画を、珍しい性的嗜好を理解するための物語とだけ捉えると、寺井の存在が薄くなってしまう。彼には、子供は学校へ通い、家庭はこうあるべきだという確かな基準がある。その基準から外れた人の説明を聞くときも、自分の側が変わる可能性をほとんど考えない。
もちろん、子供を心配すること自体が間違いなのではない。問題は、心配する気持ちを根拠に、本人の言葉を退けてしまうことだ。佳道たちへの疑いと、息子への接し方には、自分の想像の範囲を世界の限界にしてしまう共通点が見える。
『正欲』という題名も、ある欲望に正解の判を押す言葉というより、そもそも誰が欲望を「正しい」と決めているのかという問いに思える。多数派の感覚なら説明を求められず、少数派の感覚なら存在から証明しなければならない。その非対称さが、物語の底に流れている。

寺井の言うことも、最初は分かるんだよな。だから、自分も同じように決めつけていないか気になってくる。
心配しているつもりでも、相手の話を聞かなくなったら、その人の居場所を狭くしてしまうのね。

夏月と佳道の結婚を「愛がない」と言い切れるのか
夏月と佳道の結婚には、恋愛映画でよく見る求愛や性的な結びつきとは違う切実さがある。相手に欲望の対象になってもらうことよりも、自分の感覚を隠さずにいられることが大きい。二人にとって結婚は、日々の孤立に一緒に耐えるための選択なのだ。
だからといって、そこには愛がないと片付けることにもためらいがある。恋愛感情や性的な欲望が、親密さのすべてではないからだ。相手の不在を恐れ、暮らしを分かち合い、苦しいときに離れないと約束する。その関係を何と呼ぶかは、外側の人間だけでは決められない。
社会から夫婦として扱われることが、夏月に安心をもたらす点も複雑だ。二人は既存の制度に助けられる一方、その制度に収まることでようやく説明を求められなくなる。「普通」に見えることが身を守る手段になる社会の窮屈さも、ここには残っている。
ラストの「いなくならない」は、救いを保証する言葉ではない
終盤で夏月が伝えようとするのは、必ず疑いが晴れるとか、すべて元通りになるという約束ではない。自分の意思で選べること、つまり佳道とのつながりを手放さないということだ。
二人は、明日を生きる理由を持てずにいた時間を知っている。その二人にとって、相手がいなくならないと分かることは、恋人から好意を告げられるのとはまた違う重さを持つ。世界のどこにも自分の居場所がないと思ったとき、それでも一人は待っている。それだけで、今日を越える理由になり得る。
ただし、この言葉をもってハッピーエンドだと言い切ることはできない。社会の理解は変わっておらず、事件の行方も残されている。状況が解決しない中で、それでも関係を守ろうとするからこそ、夏月の意思が強く響く。

何も解決していないのに、あの最後の言葉には支えられる感じがある。待っている人がいるって、大きいな。
先のことは約束できなくても、自分は離れないと伝えられる。夏月が選び取った言葉だから響くのね。

八重子の善意にも、相手を当てはめてしまう危うさがある
多様性を掲げる八重子も、最初から大也を理解できているわけではない。自分が彼に惹かれる理由と、彼自身が抱える苦しみは別のものだ。安心できる男性だという期待も、大也にとっては、他人の望む役割を求められることになり得る。
それでも、八重子には相手の話を受け止めようとする場面がある。相手のすべてを分かることより、相手にほかのつながりが生まれることを喜べるか。二人のやり取りは、理解する側に立とうとする姿勢から、相手の人生を尊重する姿勢へ進む可能性を感じさせる。
嗜好の存在と、他人を傷つける行為は分けて考える
矢田部の事件によって、この映画には不穏な緊張が生まれる。同じ場に集まった人々でも、欲望の対象や選んだ行動まで同じとは限らない。似た嗜好を共有しているから、相手のすべてが分かるわけではないのだ。
一方で、理解できない嗜好を持つことと、他人の尊厳や安全を侵害することも同一ではない。誰かを傷つけた行為には、その行為の責任がある。しかし、説明が自分の感覚に合わないという理由だけで、別の人まで同じ加害の枠へ押し込めてよいわけではない。
本作が求めているのは、あらゆる欲望を無条件に肯定することではないと受け止めた。相手の話を聞く前から、知っている分類だけで判断を終わらせないこと。その難しさが、事件を通じて突きつけられる。
新垣結衣と磯村勇斗が見せる、安心したときの小さな変化
新垣結衣の夏月は、大きな感情表現より、言葉が出てくるまでの間や人との距離で孤独を伝える。佳道と気持ちを共有してからは、その硬さが少しずつほどけていく。別人になるほどの劇的な変化ではなく、話せる相手がいることで表情が動き始める。その変化が印象的だ。
磯村勇斗の佳道も、周囲に合わせている姿と、夏月の前で見せる脆さの差が大きい。うまく暮らしているように見える人にも、外からは分からない限界がある。二人の演技は、その見えにくさを支えている。
水の音や質感を繰り返し見せる演出も、嗜好を言葉だけで説明させないために効いている。観客が同じ欲望を感じる必要はない。それでも、自分には背景にしか見えないものが、誰かには切実な意味を持つ。その距離を体験させる映像になっている。
考えさせられる一方で、群像劇には窮屈さも残る
物語は、複数の人生を一つの事件へ集めていく。その構成によって社会の断絶が見えやすくなる反面、終盤の展開には、人物たちがテーマを示すために追い込まれていくような窮屈さもある。
寺井にも家庭を守りたい理由があり、八重子にも自分自身の傷がある。それぞれの生活をもう少し掘り下げて見たい気持ちは残った。理解する人としない人の対立だけでは収まりきらない複雑さが見えるからこそ、なおさらそう感じる。
それでも、観終わったあとに「多様性は大切だ」という結論だけで落ち着かせない力がある。自分が知らない人に出会ったとき、どんな顔で、どんな言葉を返すのか。作品の問いは、その場面まで持ち越される。
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◆モテ男視点での考察
相手の話を、自分の物差しで終わらせない
この映画から人との向き合い方を考えるなら、大切なのは理解の速さを競わないことだ。「分かるよ」とすぐに答えるより、まだ分からない部分を残したまま、相手の言葉を聞けるか。その姿勢が信頼につながる。
好きな人や身近な人ほど、こうあってほしいという期待を持ちやすい。しかし、好意は相手の内面を決める権利にはならない。恋愛すること、結婚すること、家族を作ることを、誰にとっても当然の目標だと扱わない配慮も必要だ。
頼られる人は、すべてを説明させる人とは限らない。話したくないことまで聞き出さず、打ち明けられたことを勝手に広めず、分からないからといって距離を切らない。そうした日々の振る舞いが、相手の安心を作っていく。

すぐに「分かる」と言うより、分からないことも聞ける人でいたいな。知ったつもりになるのが、一番怖い。
話すかどうかを相手が選べることも大切ね。急かされずにいられるだけで、安心できることもあるわ。

◆教訓・学び
理解できないことを、その人が存在してはいけない理由にしない。
相手と同じ感覚になれなくても、言葉を聞き、決めつけを保留することはできる。他人を傷つける行為への判断と、自分とは異なる人の尊厳を守ることを、混同せずに考えたい。
◆評価
| 評価項目 | 点数 | ひとこと |
|---|---|---|
| ストーリー | 17 / 20 | 異なる孤独を抱える人物たちの人生を交差させ、「普通」とは何かを問いかける構成が魅力。終盤で一つの事件へ集約する展開にはやや窮屈さもありますが、考え続けたくなる問いを残します。 |
| 演技 | 19 / 20 | 新垣結衣と磯村勇斗が、視線や表情のわずかな変化で、孤独と心がほどける瞬間を鮮やかに表現。稲垣吾郎の確信に満ちた態度も、互いの言葉が届かない苦しさを際立たせています。 |
| 映像・演出 | 18 / 20 | 水の音や質感、沈黙の間を生かし、台詞だけでは伝わらない感覚を丁寧に描いています。説明しすぎない演出が、登場人物との距離を観客自身に意識させます。 |
| 感情の揺さぶり | 18 / 20 | 理解されない日々の重さと、孤独を分かち合える相手に出会った安堵が胸に響きます。問題を簡単に解決しないラストが、夏月の意思と、人とのつながりを求める切実さを残します。 |
| オリジナリティー・テーマ性 | 18 / 20 | 「多様性を尊重する」という言葉では受け止めきれない欲望や孤独に踏み込みます。理解できない他者とどう向き合うかを問い、観客自身の「普通」の基準を揺さぶるテーマが印象的です。 |
| 総合評価 | 90 / 100 |
理解されない孤独と、誰かとつながって生きる切実さを描く人間ドラマ。終盤の構成には好みが分かれるものの、俳優たちの繊細な演技と静かな演出が、「理解できない相手の尊厳をどう守るか」という問いを深く心に残します。 |
◆キャッチコピー
あなたがいる。それだけで、明日を生きる理由になった。
◆総括
『正欲』は、自分とは違う欲望を持つ人に出会ったとき、どこまでその人の言葉を聞けるのかと問いかける映画です。寺井の正しさも、八重子の善意も、相手の内面をそのまま受け止めるとは限りません。
夏月と佳道の関係は、恋愛や結婚に対する見慣れた説明からこぼれ落ちます。それでも、互いの存在が生きる支えになっていることは伝わってきます。関係に名前を付けるより先に、その事実を受け止めたいと思わせます。
最後に残るのは、すべて分かったという満足ではありません。分からない人に出会ったとき、自分はその存在を簡単に否定していないか。夏月の言葉が、観る側の日常にも静かに問いを残します。
◆映画が終わっても、まだ氷が残っている
映画を観始める前に、タンブラーに氷を入れて、飲み物を用意する。これが、私の映画鑑賞の準備のひとつです。
使っていて驚くのは、映画を一本観終わるころでも、まだ氷が残っていること。途中でひと口飲んだときも、エンドロールを眺めながら手に取ったときも、冷たい飲み物を楽しめる。この保冷力は、使ってみてありがたさを実感しました。
氷を足すために席を立たず、映画の世界に浸っていられる。観終わったあとの余韻にも付き合ってくれるタンブラーは、自宅で映画を楽しむ時間の、ちょっと頼もしい相棒です。
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