◆作品情報
【監督・脚本】関友太郎、平瀬謙太朗、佐藤雅彦
【出演】香川照之、津田寛治、尾美としのり、中越典子、野波麻帆ほか
【配給】ビターズ・エンド
【公開】2022年
【上映時間】85分
【製作国】日本
【ジャンル】ドラマ、ミステリー
【視聴環境】U-NEXT、自室モニター、nwmヘッドホン
◆キャスト
- 宮松/山下陽児:香川照之:代表作『20世紀少年』(2008年)
- 健一郎:津田寛治:代表作『模倣犯』(2002年)
- 谷:尾美としのり:代表作『転校生』(1982年)
- 藍:中越典子:代表作『孤高のメス』(2010年)
- 里帆:野波麻帆:代表作『2LDK』(2003年)
◆あらすじ
前半:ネタバレなし
宮松は、映画やドラマの撮影現場で端役を専門に演じるエキストラ俳優です。時代劇では刀で斬られ、弓矢に射られ、現代劇ではヤクザとして銃撃されるなど、さまざまな作品の中で名もない人物を演じ、何度も「死ぬ」毎日を送っています。撮影が終われば、ロープウェイの運行設備を点検する仕事に戻り、淡々とした日常を過ごしています。

名もない役を与えられれば、その人物として生きる。宮松は今日もエキストラの仕事を黙々とこなしていた
しかし宮松には、自分自身の過去についての記憶がありません。自分がどこで暮らし、何をして働き、誰と関わってきたのかも思い出せず、現在の「宮松」という名前さえ、本来の自分を示すものではありません。それでも彼は失われた記憶を無理に取り戻そうとはせず、撮影現場で渡される数ページの台本に書かれた人物を、その都度静かに演じ続けています。
そんなある日、撮影所に谷という男が宮松を訪ねてきます。谷は宮松の過去を知っている人物で、彼の本名が「山下陽児」であること、そして妹がいることを告げます。突然差し出された自分の過去を前に、宮松は戸惑いながらも妹のもとを訪れることになります。他人の人生ばかりを演じてきた男が、忘れていた「自分自身の人生」と向き合い始めます。
ここからネタバレありです。
ネタバレあらすじを開く
谷との再会をきっかけに、宮松は妹の藍と、その夫である健一郎の家を訪れます。二人は宮松を温かく迎えますが、宮松にとって彼らは記憶の中に存在しない人々です。家族だと言われても実感がなく、自分の家だった場所でも、どこか他人の家にいるような居心地の悪さを感じながら生活します。

妹・藍と縁側で過ごす山下。家族のはずなのに、その距離にはどこか他人同士のような空気が漂っていた
藍と一緒に餃子を作ったり、昔のことを聞いたりするうち、宮松は少しずつ過去の自分に近づいていきます。そして藍から、昔よくショートホープを吸っていたことを聞き、かつて利用していたたばこ屋へ向かいます。そこで煙草を吸った瞬間、失われていた記憶がよみがえります。
宮松――山下が記憶を失った原因には、健一郎との過去が深く関係していました。二人は以前、同じタクシー会社で働いており、健一郎は山下が妹の藍を異性として見ているのではないかと疑っていました。「あんたは妹を異性として見ている」と責められた山下は健一郎ともみ合いになり、転倒して頭を打っていたのです。しかし医師が示唆していたように、記憶喪失は単なる外傷だけではなく、忘れたい過去から自分を守る心の働きでもあったことが浮かび上がります。
すべてを思い出した宮松は、藍たちの前から静かに去ります。健一郎は「記憶が戻らなかったから居づらくなったのだろう」と考えますが、藍は「戻ったんだよ」と答えます。
その後、宮松は再び撮影現場へ戻り、名もない登場人物を演じます。過去を取り戻しても別の人生を選び直すことはなく、彼は再び数ページの台本を受け取り、主人公ではない誰かの人生を演じ続けていくのでした。

momoko
「私は、この作品の間が絶妙だなと思ったわ。ちょっとした動きに何かを意図した間があったと思うよ。」

yoribou
「うん。時間の使い方が絶妙だね。それも、色々な角度で考えられるのがまた良いね。」
◆考察と感想
『宮松と山下』を観ていて、最初に感じたのは、「この男はいったい誰なんだ」ということだった。
宮松は映画やドラマのエキストラとして、毎日のように別人を演じている。斬られ、撃たれ、殺され、また次の日には別の人物として現れる。普通の映画なら、これは単なる職業設定として扱われるところだと思う。しかし本作では、この「エキストラ」という仕事そのものが宮松という人物を表しているように見えた。
なぜなら彼自身が、自分が誰なのかを知らないからだ。
宮松には過去の記憶がない。本名すら自分では覚えていない。つまり彼は、人生という物語の中で自分の役を失っている。それなのに撮影現場へ行けば、台本には「この人物はこういう人間だ」と書かれている。数ページだけ渡された台本を読み、その人物になりきる。その方が宮松にとっては楽だったのかもしれない。
自分の人生には台本がない。
しかし、他人の人生には台本がある。
俺はここが、この映画で一番面白いところだと思った。
宮松は毎日違う人物を演じながら、それを終えるたびに台本をきれいにファイリングしている。これはかなり印象的だった。普通なら撮影が終わった端役の台本など捨ててもおかしくない。それでも宮松は残している。
自分には過去がないからこそ、「自分が演じた誰かの人生」を保存しているように見えた。
そして物語が進み、宮松の本名が山下陽児だと分かる。妹の藍がいて、その夫の健一郎がいる。ここから映画は、記憶を取り戻す感動物語になりそうに見える。
ところが、この映画はそんな単純な方向には進まない。
普通なら「家族と再会して記憶を取り戻しました」で終われる。しかし宮松にとって、過去を取り戻すことは必ずしも幸福ではなかった。
むしろ、忘れていた方が幸せだったのではないかと思わせる。
特に重要なのが、健一郎との過去だ。
山下は妹の藍を異性として見ているのではないかと健一郎から責められ、二人は揉み合いになる。その結果、山下は頭を打つ。ただ医師が語っていたように、彼の記憶喪失は単純な外傷だけでは説明できない。
俺には、山下自身が「山下という人間でいること」に耐えられなくなったように見えた。
妹への感情。
健一郎との関係。
それまでの人生。
それらすべてを抱えて生き続けるよりも、何も知らない「宮松」として生きる方が楽だったのではないか。
そう考えると、「宮松」と「山下」というタイトルも非常に面白い。
普通なら一人の人物に一つの名前がある。
しかしこの映画では、山下という過去の自分と、宮松という現在の自分が、同じ人間の中に存在している。
では、本当の自分はどちらなのか。
俺は、どちらも本人なのだと思う。
記憶が戻れば、本来の自分に戻る。
そんな簡単な話ではない。
人間は記憶だけでできているわけではない。今どこで暮らし、何をして、どんな人間関係を築き、どんな日常を積み重ねているのか。それもまた、その人間を作っている。
だから宮松が最後に再び撮影現場へ戻る場面が良かった。
記憶を取り戻したからといって、「山下陽児として人生をやり直します」とはならない。
彼は宮松としての生活へ戻っていく。
しかも、また他人を演じる。
一見すると何も変わっていないように見える。
しかし俺には、最初の宮松と最後の宮松は全く違って見えた。
最初は、自分が誰なのか分からない男だった。
最後は、自分が誰だったのかを知ったうえで、今の自分を選んでいる。
この違いはかなり大きい。
そして、藍が健一郎に言う「戻ったんだよ」という言葉も印象に残った。
健一郎は、宮松が記憶を取り戻せなかったから去ったと思っている。
しかし藍には分かっていた。
兄は全部思い出した。
だからこそ去ったのだ。
ここには少し残酷さもある。
記憶を取り戻せば家族が元通りになるわけではない。過去を知ったからこそ、その場所にはいられなくなることもある。
俺はこの映画を観ながら、「記憶を取り戻すこと=救い」という映画の定番を完全にひっくり返していると思った。
人間には、知らない方がいいこともある。
忘れることで生きられることもある。
そして過去を思い出したとしても、その過去に戻る必要はない。
人生は、昔の自分を取り戻す作業ではなく、これからの自分を選ぶ作業なのかもしれない。
派手な事件が起こる映画ではない。説明もかなり少ない。それでも、観終わってから妙に頭に残る。
香川照之の演技も、この映画には非常に合っていた。
感情を大きく表に出すのではなく、視線や間、ちょっとした表情だけで「この人は何を考えているんだろう」とこちらに想像させる。
そして最後に宮松が見せる笑顔。
あの笑顔を、俺は「すべて解決した笑顔」とは思わなかった。
過去は消えない。
山下だった自分も消えない。
それでも宮松として生きていく。
そのことを自分なりに受け入れた笑顔だったように思う。
『宮松と山下』は記憶喪失の映画でありながら、本当に描いているのは「自分とは何か」なのだと思う。
名前なのか。
記憶なのか。
仕事なのか。
家族なのか。
それとも今、自分が選んでいる人生なのか。
俺はこの映画を観て、「過去を知ること」と「過去に戻ること」は全く別のことなのだと感じた。
人は過去を抱えながら、それでも別の自分として生きていける。
宮松が最後に再び名もない役を演じ始める姿には、そんな静かな強さがあった。

momoko
「山下でいる方が行き難かったのね。先立つものもないし、今を惰性で生きるしか無かったんだわ。」

yoribou
「でも、だからと言って、それが違う人を生きるほど変えられないほどのことなのかなー。山下の人生が良いってところもそんなに無いしね。」
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◆もて男目線で考察
もて男目線で見ると、この映画は「過去に執着しない男の強さ」を描いているようにも見えます。
宮松は記憶を取り戻しても、妹や健一郎に自分の感情をぶつけません。すべてを思い出したうえで黙ってその場を離れ、相手に理解してもらおうとも、過去を取り戻そうともしません。
人間関係でも同じで、格好いい男ほど「昔こうだった」という過去にしがみつかないのかもしれません。過去を受け入れたうえで、自分がこれから生きる場所を選ぶ。宮松の最後の笑顔には、そんな男の潔さを感じます。
◆教訓
過去を取り戻すことよりも、過去を受け入れたうえで「これからどう生きるか」を自分で選ぶことの方が大切なのだと教えてくれます。
◆評価
| 項目 | 点数 | コメント |
|---|---|---|
| ストーリー | 19 / 20 | 記憶を失った男の過去が少しずつ明らかになる 構成が秀逸です。 |
| 演技 | 19 / 20 | 香川照之の抑えた演技が、宮松の空白と不安を 静かに伝えます。 |
| 映像・演出 | 19 / 20 | 現実と劇中劇を自然につなぐ演出が、作品独特 の不思議な感覚を生みます。 |
| 感情の揺さぶり | 19 / 20 | 記憶が戻った後の静かな決断と、ラストの表情 が強く心に残ります。 |
| テーマ性 | 19 / 20 | 記憶や名前を通して、「自分とは何者か」を深く 問いかける作品です。 |
| 合計 | 95 / 100 | 静かな物語の中に、記憶と人生、そして自分ら しさへの問いを込めた完成度の高い作品です。 |
◆総括
『宮松と山下』は、記憶喪失という設定を使いながら、「人は何によって自分自身でいられるのか」を静かに問いかける作品です。
派手な展開や大きな感情表現はありませんが、宮松がエキストラとして他人の人生を演じ続ける姿と、自分自身の過去を取り戻していく過程が重なることで、独特の深みが生まれています。
記憶が戻ればすべてが元通りになるわけではありません。むしろ、思い出したからこそ過去には戻れないこともあります。最後に宮松が再び撮影現場へ戻る姿からは、過去を消すのではなく、それを抱えたまま新しい自分として生きていく覚悟を感じます。
特に印象的なのは、記憶を失っていた宮松と、記憶を取り戻したあとの宮松が、外見上はほとんど変わらないことです。それでも彼の中では、自分が何者だったのかを知らずに生きる人生から、過去を知ったうえで現在の人生を選ぶ生き方へと大きく変化しています。
観終わった直後よりも、時間が経ってからじわじわと意味が広がっていく映画です。静かな作品が好きな人や、「自分とは何者なのか」「過去とどう付き合って生きるのか」というテーマに惹かれる人には、特におすすめしたい一本です。
映画の「静けさ」まで楽しみたい人へ
『宮松と山下』は、派手な音響で押してくる映画ではありません。 宮松の息遣いや何気ない会話、言葉が途切れたあとの「間」まで含めて、作品の空気が作られています。
今回、俺は自室モニター+nwmヘッドホンで視聴しました。 こういう静かな人間ドラマほど、セリフだけではなく細かな音まで聞き取れる環境があると、映画への入り込み方も変わってきます。
映画を観る時間をもう少し快適にしたい人は、俺が今回使った視聴環境もチェックしてみてください。
▼ 今回の映画鑑賞で使用したヘッドホン
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