🎬 映画は人生そのもの ── 淀川長治の足跡を辿る
🧒 幼少期の出会い──神戸の街に響いた映画の灯り
1909年4月10日、兵庫県神戸市に生まれた淀川長治。父はインテリ、母は文化を愛する女性。幼い長治はチャップリン映画に心を打たれ、言葉を超えて感情を受け取る体験を得た。
「字幕が読めなくても涙が出た」──これは後に映画を語る人間になる宿命だったのかもしれない。
🎓 学究と鑑賞──慶應義塾大学での研鑽
慶應義塾大学では英文学を専攻しながら、東京中の映画館を巡る日々。書き溜めた「映画感想ノート」は、のちの評論スタイルの原型に。人間の葛藤、喜び、哀しみ──すべて映画の中にあった。
🖋️ 編集と評論──『映画之友』と活字の戦場
映画雑誌『映画之友』編集部に入り、名物編集者兼評論家に。辛辣な批評の裏には「愛がなければ批判もできない」という信念があった。
配給会社からの抗議を編集長に「それでも載せる」と押し切った話は、彼の映画愛を物語るエピソードである。
📺 日曜洋画劇場──サヨナラ三回の魔法
1972年、テレビ朝日『日曜洋画劇場』解説者に就任。「ごきげんよう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は日本中に浸透した。
「素晴らしき哉、人生!」を紹介した夜、「これを観てもまだ人生に絶望しますか?」と優しく問いかけた彼の声に、多くの人が涙した。
🏆 功績と栄誉──伝える者としての人生
紫綬褒章・勲四等旭日小綬章受章。評論だけでなく字幕翻訳、解説書、後進育成まで多方面に活躍。
黒澤明や小津安二郎といった名匠との交流からは、彼の信頼と見識の深さがうかがえる。
🕊️ 映画と共に──人生の最後の瞬間まで
1998年11月、肺炎で逝去。享年89歳。
最期まで映画を観て、ノートに感想を書き続けていたという。スクリーンは彼にとって“人生そのもの”だった。
📝 編集後記──「愛ある映画批評」という灯火
淀川長治の語り口に惹かれ、映画を“語る”とはどういうことかを教えられた私たち。
単なる知識ではなく、作品への敬意と愛がある言葉──それが彼の真骨頂でした。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
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