食事に行くとき、特に女性と一緒のとき、「誰が払うか」はやたらと話題になる。
ただ、この話題が荒れやすいのは、マナーや金額の問題というより、考え方の整理がされていないからだと思っている。
そこでこのページでは、
行為(奢る・食事・SEX)と、好意(好きという気持ち)を切り分けた上で、
「支払い」が何を決めて、何を決めないのかを整理する。
◆まず定義する:行為と好意は別物だ
このテーマを考える前に、はっきりさせておきたい。
行為とは、外から見える具体的なアクションだ。
奢る、食事に行く、身体の関係を持つ。これらはすべて行為であり、観測できる。
一方で、好意とは内面の話だ。
好きだと思う、惹かれている、大切に感じる。これは感情であって、行為がなくても存在する。
この二つは、本来まったく別のレイヤーにある。
◆俺の立場:基本、俺が払う
俺は、どんな場面でも基本的に自分が払う。
ただしこれは、好意があるからでも、好意を示すためでもない。
奢るという行為は、俺にとっては「場をどう終わらせるか」という振る舞いの話であって、
感情の表明ではない。
◆父親の背中:行為に意味を乗せなかった人
この感覚の原型は、亡くなった父親にある。
父は、奢ったあとに何も語らなかった。評価も期待もなかった。
今の言葉で言えば、父は行為と感情を混ぜなかった。
払うという行為を、関係性の条件にしなかった。
「誰が偉いか」ではなく、
「誰が引き受けるか」
◆「奢る=好意」という誤解
多くの混乱は、ここから始まる。
- 奢る=好意がある
- 好意がある=何かが進む
- 進まない=行為が無駄だった
これはすべて、行為に感情の意味を後付けしているだけだ。
◆行為に意味を乗せると、敵意が生まれる
奢ったという行為に、
「だから好意はあるはずだ」「だから何か返るはずだ」と意味を乗せる。
期待が裏切られたとき、問題は相手ではなく、意味付けのほうにある。
◆「好意がないなら払わない」という暴論
ここでよく出てくる極論が、
「好意がない相手には払わない」という言い方だ。
これは、行為を好意の証明や条件に使ってしまっている。
好意は感情であって、支払いで測るものではない。
◆行かない判断は、支払い以前の話
一緒に行かない相手がいるのは自然だ。
それは好意の有無ではなく、関係性・安全・価値観の話だ。
× 行為がない → 払わない
○ 関係を結ばない → 支払いの話が生まれない
◆俺が守りたいライン
行為と好意を混ぜない。
行為を条件にしない。
行為に見返りを求めない。
奢るかどうかより、
奢りに意味を持たせないことのほうが大事だ。
◆まとめ
行為は、関係性も好意も決定しない。
好意もまた、行為で証明されるものではない。
支払いは、姿勢の話だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
男性の末席にいる俺は、好意がある相手には、できるだけ回りくどいことをせず、
「好きだ」という気持ちは、言葉でまっすぐ伝えるようにしている。
それで失敗することもある。正直、普通に悲しい。
でも成功することもあるし、成功すれば当然、そこから先はちゃんと関係が進む。
他の男性の存在を感じることがないわけじゃない。
ただ、それをずっと意識しながらデートをしたり、
「選抜戦を勝ち抜いて射止める」みたいな構図を前提には考えない。
これが正解だとは思っていない。
ただ俺は、行為で探り合うより、気持ちは言葉で出すほうが健全だと思っている。
気持ちは言葉で伝える。
じゃあ、道具は何のために使うのか。
俺にとってそれは、相手を口説くためじゃない。
自分の姿勢や余裕を、余計なノイズなく整えるためだ。
写真を盛るためでも、競争に勝つためでもない。
日常をきちんと回し、無駄な消耗を減らす。
その延長線に、人との関係があると思っている。
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