映画『怪物』(2023年)レビュー|決めつけが生む“怪物性”を暴く
※Netflix視聴メモ:自室モニター/WI-1000XM2
◆映画『怪物』の作品情報
- 原題:Monster
- 監督:是枝裕和
- 脚本:坂元裕二
- 出演:安藤サクラ、永山瑛太、高畑充希、田中裕子他
- 音楽:坂本龍一
- 配給:東宝、ギャガ
- 公開:2023年
- 上映時間:126分
- 製作国:日本
- ジャンル:ヒューマンドラマ、社会派ドラマ
- 視聴ツール:Netflix、自室モニター、WI-1000XM2
◆キャスト
- 早織:安藤サクラ 代表作『万引き家族』(2018年)
- 保利道敏:永山瑛太 代表作『ディア・ドクター』(2009年)
- 麦野湊:黒川想矢 代表作『怪物』(2023年)
- 星川依里:柊木陽太 代表作『1秒先の彼』(2023年)
- 伏見真木子:田中裕子 代表作『おしん』(1983年)
◆ネタバレあらすじ
小学校で起きた些細な衝突をきっかけに、シングルマザーの早織は息子・湊の様子が明らかに変わったことに気づきます。
ある日、湊は担任の保利先生に関して意味深な言葉を口にし、体にも傷が見つかります。
早織は学校へ説明を求めますが、管理職は事なかれ主義で、会見のような場でも形式的な謝罪に留まります。
さらに保護者や近隣の視線が加わり、出来事は「いじめ」「体罰」「家庭の問題」など、都合の良いラベルで切り分けられていきます。
町では火事のニュースや噂話が飛び交い、人々は“分かりやすい悪者”を求めがちです。
早織は湊の言葉を信じたい一方、湊自身も本音を語りきらず、親子の距離に小さな亀裂が入ります。
湊が親しくする同級生の存在も、誤解と疑念を呼び、誰が被害者で誰が加害者なのかが曖昧になっていきます。
発言の切り取りや思い込みが連鎖し、善意がいつの間にか暴力へ変わる怖さも浮かび上がります。
静かな日常の中で積み重なる違和感と、視点の反転がもたらす驚きが、観客の判断基準そのものを揺さぶります。
本作は「怪物」と名づける行為の危うさを描くヒューマンドラマです。真実は一つでも、見え方は人の数だけあると痛感させられます。
ここからネタバレありです。
ネタバレあり(開く)
物語は早織の視点で「教師の体罰疑惑」として進みますが、次に保利の視点へ移ると、彼もまた学校の空気と噂に追い詰められていたことが見えてきます。
保護者対応に翻弄され、上司からは責任を押しつけられ、善意の行動さえ疑いの材料にされていきます。
さらに湊と依里の視点が加わることで、事件の中心が「大人の正義」ではなく、子どもたちの生きづらさと秘密にあったと明らかになります。
二人は互いに惹かれ合い、周囲の大人の言葉では割り切れない絆を育てていましたが、大人たちは理解できないものを排除しようとし、行動や発言を都合よく解釈します。
結果として、学校は体面を守るために事実確認よりも収束を優先し、当事者は孤立します。
やがて「怪物」とされたのは特定の誰かではなく、決めつけで人を裁く視線そのものだと分かっていきます。
終盤、二人は嵐の中で学校を離れ、世界から逃げるように走り、そこで交わされる会話が誤解をほどき、痛みの根にあった孤独を浮かび上がらせます。
最後は答えを断定せず、それでも理解し合おうとする小さな希望だけを残して幕を閉じます。
観客は自分の早合点もまた試されるのです。静かな余韻が残ります。
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◆【俺の考察&感想】
この映画を観終えたあと、まず胸に残るのは「自分もまた怪物になり得る」という嫌な実感だ。『怪物』は感動作でも告発映画でもない。もっと厄介で、もっと静かにこちらの思考を侵食してくる作品だ。物語は母・教師・子どもという三つの視点を切り替えながら進むが、その構造自体がこの映画の核心を成している。人は常に、自分にとって都合のいい物語を信じ、その枠組みの中で他人を裁いてしまう。その瞬間、善意は簡単に暴力へと姿を変える。
序盤、俺は完全に母の側に立って観ていた。子どもの異変に気づき、学校へ説明を求める姿は真っ当だし、教師側の対応は不誠実に見える。ここで観客は「教師=怪しい」「学校=隠蔽体質」という既視感のある構図に安心して乗せられる。

だが視点が教師側に移った瞬間、その安心は崩れる。彼もまた、正しさを振りかざす保護者や組織の論理に追い詰められる一人の人間だった。正義と正義がぶつかるとき、そこに真実は居場所を失う。俺はここで、自分がどれだけ早く“分かりやすい悪役”を欲しがっていたかを思い知らされた。

さらに恐ろしいのは、最後に明かされる子どもたちの視点だ。大人たちが議論していた「事件」そのものが、子どもたちの内面とはまったく別の次元で膨張していたことが分かる。彼らは傷つきながらも、必死に世界と折り合いをつけようとしていた。ただ、その言葉は大人の解釈によってねじ曲げられ、ラベルを貼られ、回収されていく。理解しようとするふりをしながら、実は理解を放棄している。その態度こそが、この映画の言う“怪物”だ。
この作品が巧妙なのは、誰か一人を明確な加害者にしない点にある。母も、教師も、学校も、そして観ている俺自身も、全員が状況次第で怪物になる。自分の正しさを疑わず、相手の声を最後まで聞かず、分かったつもりになる。その連鎖が、子どもたちの逃げ場を奪っていく。映画の後半、嵐の中を走る子どもたちの姿は、社会からの逃走であると同時に、大人の物語から抜け出そうとする必死の抵抗に見えた。
俺が特に刺さったのは、「説明されなかったこと」が多い点だ。分かりやすい答えも、明確な解決も用意されない。だがそれは不親切なのではなく、むしろ誠実だ。現実でも、他人の内面は完全には分からない。分からないまま向き合う覚悟があるのか、それとも分かったふりをして安心したいのか。映画はその選択を観客に突きつける。
『怪物』は優しい映画ではない。観終わったあと、スッキリもしないし、誰かを断罪してカタルシスを得ることもできない。ただ、自分の中にある短絡的な正義や、都合のいい理解を静かに炙り出す。その不快さこそが、この映画の価値だと思う。俺はもう、誰かを簡単に「怪物」と呼ぶことはできない。その言葉を口にする前に、自分の視線こそが怪物になっていないか、一度立ち止まる必要があると、この映画は教えてくる。
◆【もて男の考察&感想】
モテる男に必要なのは、正しさよりも余白だ。『怪物』は、相手を早く理解した気になるほど、人はズレると教えてくる。女性との関係でも同じで、結論を急ぎ、ラベルを貼った瞬間に信頼は壊れる。相手の言葉が足りなくても、沈黙があっても、そのまま受け止める余裕を持てるか。決めつけず、分からない状態に耐えられる男は強い。この映画は、「聞く力」と「想像力」こそが大人の色気だと静かに示している。
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◆教訓、学び
相手を理解したつもりで決めつけた瞬間、男の余裕は消え、信頼も静かに離れていく。
◆似ているテイストの作品
-
無差別殺人事件の犯人像を軸に、「信じること」と「疑うこと」の境界線を描いた群像劇。
視点や立場によって人物評価が反転し、
“疑った瞬間に関係が壊れる”という構造は『怪物』と強く共鳴している。 -
戸籍と過去をめぐる謎から、人は「何者として見られているか」で生きていると突きつける作品。
他者を理解したつもりになる危うさ、
そして真実が一つではないという感覚が『怪物』の主題と深く重なっている。
◆評価
| 項目 | 点数 | コメント |
|---|---|---|
| ストーリー | 18 / 20 |
ひとつの出来事を「母」「教師」「子ども」の視点で反転させ、真実の形が変わっていく構成が見事です。 事件の解決よりも、“決めつけが生む暴力”を積み上げていく流れが強く、観客の判断そのものが試されます。 |
| 演技 | 19 / 20 |
安藤サクラは怒りと不安を“正しさ”に変えてしまう母の危うさを、体温のある芝居で成立させています。 永山瑛太は追い詰められる教師の脆さと尊厳を両立させ、子役2人の繊細な表情が物語の芯を貫きます。 |
| 映像・演出 | 19 / 20 |
日常のフレームの中に「不穏」を混ぜる演出が巧みで、説明しないカットが逆に想像を加速させます。 風・水・光の使い方が感情の揺れを代弁し、嵐のシーンは“逃走”ではなく“救い”として刺さります。 |
| 感情の揺さぶり | 18 / 20 |
号泣させるタイプではないのに、観終わったあとにじわじわ効いてくる痛みがあります。 「守りたい」の衝動が誰かを追い詰める怖さが残り、最後は言葉にできない余韻で心を掴まれます。 |
| テーマ性 | 18 / 20 |
“怪物”という言葉は、相手を理解したつもりになるための便利なラベルでもあります。 正義・噂・体裁が人を壊す過程を静かに描き、「見る側の怪物性」まで浮かび上がらせるのが強烈です。 |
| 合計 | 92 / 100 |
視点が変わるたび、真実よりも“決めつけ”が人を傷つけると突きつける社会派ヒューマンドラマ。 観客の正義感まで試してくる、静かで鋭い傑作です。 |
| 一言コメント | — | 「分かったつもり」になった瞬間、怪物は外じゃなく自分の中で育つ。 |
◆総括
『怪物』は、事件の真相を解き明かす映画ではない。むしろこの作品が本当に照らしているのは、「人はどこまで他人を理解できるのか」「理解したつもりになることは、どれほど危険か」という問いそのものだ。母の正義、教師の立場、子どもたちの沈黙――それぞれは間違っていないのに、重なった瞬間に誰かを傷つけてしまう。その構造が、極めて静かで、しかし逃げ場のない形で描かれている。
本作が優れているのは、観客に寄り添いながらも、決して甘やかさない点だ。序盤では観る側の感情を巧みに誘導し、「分かった気」にさせる。だが視点が反転するたび、その判断がいかに早計だったかを突きつけてくる。その体験を通じて、観客自身が“怪物性”を内省させられる構造になっている。これは説教でも断罪でもなく、ただ静かに鏡を差し出すような映画だ。
また、説明しすぎない演出も特筆すべきだ。言葉にされない感情、曖昧な関係性、はっきりしない未来。それらを削ぎ落とさずに残すことで、現実と同じ重さを物語に与えている。答えを用意しないラストは不親切に見えるかもしれないが、だからこそこの映画は観終わったあとも観客の中で生き続ける。
『怪物』は、誰かを糾弾するための作品ではない。むしろ「自分は本当に相手を見ているのか」「正しさを盾に、誰かを黙らせていないか」と問い返してくる映画だ。その問いは、学校や家庭だけでなく、人間関係すべてに通じる。静かだが鋭く、優しいが容赦がない。時間が経つほどに評価が深まっていく、長く残る一本だと思う。
◆あわせて読みたい|是枝裕和の思考に触れる一冊
映画を撮りながら考えたこと
是枝裕和 著|2016年6月8日刊|★4.6(5段階評価)
『誰も知らない』『そして父になる』『海街diary』『海よりもまだ深く』など、
代表作を振り返りながら、「この時代に表現しつづけるとはどういうことか」を
思考と実践の両面から掘り下げた一冊です。
構想8年。映画を“撮る技術”ではなく、“向き合い続ける姿勢”が語られています。
「すべての映画は撮られてしまった」と言われた時代に青春を送った著者が、
それでもなお映画の流れの一滴でありたいと願う――
『怪物』で描かれた“わからなさと向き合う態度”の原点が、ここにあります。



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