【監督】フランシス・ローレンス
【脚本】マーク・プロトセヴィッチ、アキヴァ・ゴールマン
【原作】リチャード・マシスン『アイ・アム・レジェンド』
【出演】ウィル・スミス、アリシー・ブラガ、ダッシュ・ミホク他
【配給】ワーナー・ブラザース
【公開】2007年
【上映時間】100分
【製作国】アメリカ
【ジャンル】SF,サバイバル、アクション、スリラー
【視聴ツール】U-NEXT、吹替、自室モニター、Anker Soundcore AeroClip
アナ:アリシー・ブラガ 代表作『エリート・スクワッド』(2007年)
イーサン:チャーリー・ターハン 代表作『オズ はじまりの戦い』(2013年)
ゾーイ・ネビル:サリー・リチャードソン 代表作『バウンド・バイ・オナー』(1993年)
アリス・クルピン博士:エマ・トンプソン 代表作『ラブ・アクチュアリー』(2003年)
◆あらすじ(ネタバレなし)
    2012年、ウイルスの暴走で人類が激減したニューヨーク。元アメリカ陸軍中佐で科学者のロバート・ネビルは、免疫を持つ稀有な生存者として、愛犬サムと共に廃都で暮らしています。昼は無人の街で食料と物資を確保し、夜は日光に弱い感染者を避けて厳重に籠城します。彼は自宅の地下研究室でワクチンの開発に挑み、毎日同じ周波数で「生存者は連絡を」と無線を発信します。書店のマネキンに挨拶し、レコードを流し、ボブ・マーリーを口ずさむ日々は、孤独と正気を保つための儀式です。動物園から逃げた獲物を追い、公園でトウモロコシを育てる生活は淡々と続く一方、街のどこかにいるかもしれない誰かへの希望は消えていません。やがて、微かな手掛かりが彼の前に現れ、世界を変える可能性が静かに動き出します。
  
ここからネタバレありです
ネビルはネズミでの治験から新配合の血清に可能性を見出し、感染者の女性個体を罠で確保して投薬を開始します。ところが、日中は活動できないはずの感染者の群れが、彼の行動を観察し学習していたことが判明し、夕暮れの罠返しでネビルは逆に拘束されて重傷を負います。救出に来たのは、無線を聞きつけた女性アナと少年イーサンでした。やがてネビルの愛犬サムが噛まれて感染し、苦渋の末に彼は安楽死を選択します。全てを失ったネビルは研究を加速し、女性感染者に投与した血清が有効に作用し始めた決定的な瞬間を掴みます。しかし群れの襲撃が自宅へ到達。地下室に追い詰められたネビルは、血清のサンプルをアナに託し、防弾ガラスの亀裂を目前に最後の選択をします。手榴弾で自らを犠牲にして群れを殲滅し、アナとイーサンは夜明けの道路を走り、やがて城門のある生存者コロニーに辿り着きます。彼が遺した血清は希望の証となり、名もなき伝説が新たな始まりへと受け継がれるのです。
この映画のすごさは、「静」と「狂気」のバランスだと思う。昼間の平穏は美しくさえある。陽射しの中で車を走らせるシーンや、音楽を流しながらサムを撫でる姿には、どこか人間的な優しさがにじむ。でも夜になると一変し、闇の中でうごめく感染者=ダーク・シーカーの恐怖が襲う。その対比があまりに見事だ。特に、ネビルが暗闇の中に入り、ライトを照らした瞬間、何体もの感染者が壁を這っていたシーン。息を止めたまま観た。あの恐怖演出はホラー映画を超えている。

しかし、本当に怖いのは感染者ではない。ネビルの「孤独」そのものだ。彼は3年間、一人で世界の終わりを生き続けている。ラジオで毎日、生存者を呼びかけるが、返答はない。会話できるのはサムだけ。マネキンに「今日はどうだ?」と話しかける姿が切なくてたまらない。孤独に押しつぶされながらも、彼は科学者としての使命感に縋りついている。それが人間としての“最後の砦”なんだろう。自分なら、とても耐えられない。たぶん数ヶ月で壊れる。
ウィル・スミスの演技は圧巻だった。言葉数は少ないのに、目や仕草、ちょっとした息づかいで感情を語る。特にサムを失う場面――あれはもう、観るのがつらい。犬を抱きしめながら泣き崩れるあの瞬間、ネビルという人物が完全に壊れていく。家族を失い、希望を失い、最後の支えまで失った男の叫びは、痛みそのものだった。涙をこらえようとしても無理だった。

この映画のテーマは“人間とは何か”だと思う。感染者を「モンスター」として見下し、実験体として扱っていたネビル。しかし、ラストで明らかになるのは、彼らにも知能と感情があり、仲間や恋人を大切にする存在だということ。つまり、ネビル自身が「人間の姿をした怪物」だったのかもしれない。ラストの別バージョン(いわゆる代替エンディング)では、そのことに気づいたネビルが、感染者の女性を返し、群れのリーダーと和解して生き延びる。あのバージョンを観たとき、俺はこっちの方が“本当の救い”なんじゃないかと思った。なぜなら、それは人間の尊厳を取り戻す結末だからだ。
ただ、劇場公開版の終わり方――血清をアナに託して自爆する展開も決して悪くない。彼の行動が“伝説(レジェンド)”になるというタイトルの意味がここで繋がる。犠牲によって未来を救った男の物語。ヒーロー映画のようでいて、同時に宗教的な殉教にも似ている。希望と孤独が表裏一体で描かれているのが、この作品の深みだと思う。
映像面でも見どころは多い。5番街を封鎖して撮影したという無人のニューヨークは圧倒的なリアリティで、CGとの融合も自然。草が生え、鹿が走る廃墟の街は、美しさと不気味さが同居している。アクション要素も控えめながら緊張感が途切れず、むしろ静けさの中に暴力が潜んでいる感じが上手い。音楽の使い方も秀逸で、ボブ・マーリーの「Three Little Birds」が流れる場面では、心が一瞬だけ癒される。希望の象徴としてこの曲を選んだセンスが素晴らしい。
この映画を観て感じたのは、“人間は群れを失うと壊れる”ということだ。科学でも理性でも埋められない「他者とのつながり」こそ、人間らしさの根源なんだと思う。ネビルは最後まで科学者として戦ったが、同時に家族を取り戻そうとする一人の男でもあった。愛犬サムへの愛情も、家族を想う気持ちも、全部が「人間であり続けたい」という叫びだったのだ。
『アイ・アム・レジェンド』は、ゾンビ映画でもSFでもなく、“孤独と希望の哲学”の映画だ。観るたびに、自分の中の何かを突きつけられる。今この時代、孤立や分断が進む社会の中で、ネビルの姿は他人事じゃない。俺たちは誰もが、どこかで「伝説」を求めて生きているのかもしれない。
――静寂の街にたった一人、それでも希望を捨てない男。その姿は、間違いなく人間そのものだった。
ただのレビューで終わらせない。“男前にビシッと決める”映画知識を身につける場——シネマログ。
会話で効くネタ、俳優・ジャンルの基礎教養、デートで外さない選び方までを要点だけ端的に。
  どんな状況でも希望を捨てず、自分の信念を貫く男は、自然と人を惹きつける。
- 『PLAN 75』(2022年/日本)
 高齢者に“生の終わり”を自ら選ばせる社会を描くディストピア。
 静寂の中に漂う絶望と希望の対比が、『アイ・アム・レジェンド』の孤独と再生のテーマに重なる。
- 『タイタン』(2018年/アメリカ)
 過酷な未来に適応するため、人間が進化を強いられる物語。
 科学と人間性の境界を問う展開が、『アイ・アム・レジェンド』の科学者としての葛藤と呼応している。
| 項目 | 点数 | コメント | 
|---|---|---|
| ストーリー | 18 / 20 | ウイルスによって崩壊した世界で、孤独な科学者が人類再生を模索する構成が見事。SFでありながら心理ドラマとしての深みもあり、終末の静けさが胸に残る。 | 
| 演技 | 20 / 20 | ウィル・スミスの一人芝居は圧倒的。セリフの少ない中でも、孤独・絶望・希望を表情と仕草で表現。愛犬サムとのやり取りはリアルで、観る者の感情を直撃する。 | 
| 映像・演出 | 19 / 20 | 廃墟となったニューヨークの描写が圧巻。無人の街並み、差し込む光、静寂と影が織りなす演出が芸術的。VFXと実景の融合も自然で、終末のリアリティを完璧に再現。 | 
| 感情の揺さぶり | 18 / 20 | サムを失う場面の悲しみ、絶望からの覚悟へと向かう流れが胸を締めつける。孤独と希望、愛と犠牲という感情の振れ幅が大きく、人間の強さと弱さが交錯する。 | 
| オリジナリティ・テーマ性 | 19 / 20 | 「怪物」と「人間」の境界を問い直す哲学的テーマが際立つ。感染者を“他者”として描きながら、最終的にネビル自身の人間性を問う構造が秀逸で、深い余韻を残す。 | 
| 合計 | 94 / 100 | ウィル・スミスの演技力と哲学的ストーリーが融合した孤独の名作。派手なSFではなく、静かに心を抉る人間ドラマ。観るたびに「生きるとは何か」を考えさせられる。 | 
本作が他の終末SFと一線を画すのは、「科学」と「信仰」「人間」と「怪物」の境界を曖昧にしている点だ。ネビルが救おうとしていた“人類”は、実は自らの傲慢によって滅びかけた存在であり、彼が“怪物”と呼んでいた感染者にも、愛や仲間意識が残っていた。ラストにおいて、その認識が転倒する構成は、人間中心の視点に対する強烈なアンチテーゼとして機能している。
演出面では、静寂の中に漂う緊張感と、光と影の対比が素晴らしい。セリフを極力排した構成が、逆に観る者に「音のない恐怖」と「孤独の重み」を体感させる。CG技術よりも“静寂”そのものを使って心を動かすこの演出は、フランシス・ローレンス監督の力量の証だろう。ボブ・マーリーの楽曲が繰り返し流れるのも象徴的で、「音楽」と「希望」が人間性を支える最期の灯のように響く。
そして、ネビルの死(または生存する別エンディング)によって示されるのは、人類の再生よりも、「信じることをやめない力」だ。彼が残した血清は、物理的な救いであると同時に、絶望の中にも光を見出そうとする“意志”の象徴だった。だからこそ、この映画は単なるウイルス・サバイバルではなく、“信念の物語”なのだ。
総じて、『アイ・アム・レジェンド』はSFでありながら詩的で、アクションでありながら静謐。人間の孤独をここまでリアルに描いた作品は稀だと思う。観終わった後、胸に残るのは恐怖ではなく、孤独の中でなお輝く“人間らしさ”。滅びの中にもなお「希望」を信じ続けた一人の男の姿は、まさにタイトル通り“レジェンド(伝説)”と呼ぶにふさわしい。
🔦 映画『アイ・アム・レジェンド』に学ぶ“光の武器”
    ウィルスによって人類が滅びた世界。闇夜を歩くウィル・スミス演じる主人公の手にあったのは、ただひとつの“光”――懐中電灯。
    どんな絶望の夜も、光を持つ者だけが前に進める。そんなテーマを思い出させるのが、この
    WUBEN PL01 ペンライトです。
  
     
  
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