なぜ俺はNetflix映画を追うのか──語られ尽くされた名作より、まだ誰も知らない傑作が観たい
たとえば、オードリー・ヘップバーンの映画を今観たとしよう。きっと感動する。間違いなく美しい。だが、すでにその作品は、何十年もの間、何千人もの評論家やファンたちが語り尽くしてきた。
観る前から“美しい名作”というラベルが貼られている。感動はあっても、それは“すでに用意された感動”なんじゃないかと思う。
📺 Netflixオリジナルは“色がついていない”
でも、Netflixのオリジナル映画は違う。
まず、映画館で公開されない。下手をすると、誰も語っていないまま沈んでいく。でも、制作費は桁違いにかかっている。俳優も一流、監督も本気。そんな作品が、黙って配信リストに埋もれている。
それって、最高に面白くないか? “発掘”じゃない。これは“最前線”だ。
🎬 誰よりも早く、誰よりも自由に
俺がNetflix作品をレビューする理由はひとつ。まだ何者でもない映画を、自分の感性だけで観たいからだ。
先入観も名声もない。過去の評価がない。その映画が面白いかどうか、全責任を自分で引き受けられる。そういう映画体験こそ、いまの時代にしかできない特権だと思ってる。
💬 名作もいい。でも未来の“名作候補”はもっといい
もちろん、過去の名作も大切だ。でも俺がレビューするのは、“未来の名作候補”だ。
Netflixオリジナル映画は、まだ何者でもない。でも、その中に時折、とんでもない爆弾みたいな作品が混ざっている。それを見つける喜びは、語り尽くされた過去じゃ味わえない。
だから今日も、俺はNetflixの新着を漁る。
誰も語っていない映画を、俺が最初にレビューしたい。