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北海道出身の俺が思う北海道のリアル|室蘭・函館・札幌で育った道産子の体験談

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北海道出身の俺が思う北海道のリアル|室蘭・函館・札幌で育った道産子の体験

観光地として憧れられる北海道。でも、実際に生まれ育った人間から見ると、その魅力はパンフレットや旅行番組で語られるものだけではない。室蘭、函館、札幌で過ごした“本当の道産子”の視点から、北海道のリアルを書いてみる。

この記事のポイント

  • 俺は室蘭・函館・札幌で育った、いわば本当の道産子
  • 昔の北海道の夏は、今よりずっと涼しかった
  • 家にエアコンはなくても、灯油タンクとストーブは当たり前だった
  • 札幌から室蘭まで自転車で帰るくらい、北海道の距離感は独特だった
  • 札幌のビール園やジンギスカン、余市のウイスキーなど“酒と食”も北海道の魅力

観光地としての北海道と、暮らした北海道は少し違う

日本人が「一度は行ってみたい県」と聞かれたら、かなりの確率で北海道を思い浮かべる人は多いはずだ。広大な自然、うまい食べ物、雪景色、ラベンダー畑。テレビや雑誌で紹介される北海道は、いつもどこか特別で、まるで日本の中にもう一つ別の国があるように見える。

もちろん、それは間違っていない。北海道にはたしかに他の地域にはない魅力がある。だが、北海道で生まれ育った俺からすると、その魅力は観光地としての華やかさだけでは語れない。そこには、もっと地味で、もっと生活に根ざしたリアルがある。

俺は高校まで室蘭にいて、高校は函館、大学は札幌で過ごした。北海道の中を移動しながら育ってきた、いわば本当の道産子だ。だからこそ言えることがある。北海道はたしかに魅力的だが、住んでみると「ただの憧れの土地」ではなく、ちゃんと生活の匂いがする場所でもある。

昔の北海道の夏は、本当に涼しかった

今の天気予報を見ていると、北海道でも30度を超える日が普通に出てきて驚くことがある。正直、俺の子供の頃の感覚からすると、あれはかなり別世界だ。

昔の北海道の夏は、本当に涼しかった。本州のような蒸し暑さはほとんどなく、むしろ朝晩は少し肌寒いくらいだった。窓を開けて風を通せば十分で、エアコンなんて必要ない。それが当たり前の感覚だった。

夏になると、6月や7月に海へ行って日焼けをしていた。ここが北海道らしいところで、「暑すぎるから海に行く」というよりは、「せっかく晴れているから太陽を浴びに行く」という感覚に近い。海水は決してぬるくない。むしろ冷たい。でも、その冷たさも含めて北海道の夏だった。

今は温暖化の影響なのか、北海道の夏もかなり変わったように感じる。「北海道の夏は涼しい」という昔の常識は、少しずつ過去の話になりつつあるのかもしれない。

エアコンは無かった。でも、灯油タンクは大きかった

北海道の家の特徴として、昔の俺にとって当たり前だったのが「エアコンは無いのに、灯油を入れる大きなタンクはある」ということだ。今思うと、かなり北海道らしい暮らしだったと思う。

暑さに備えるより、寒さに備える。これが北海道の家の基本だった。冬を越すために暖房は絶対に必要で、家の外には灯油タンクが置かれていた。室内にはストーブがあり、冬はもちろん、年によっては5月でも普通にストーブをつけていた記憶がある。

本州の感覚で言えば、5月はもう春から初夏に向かう時期かもしれない。だが北海道では、年によってはまだまだ寒い。ゴールデンウィークでも朝晩は冷えるし、下手をすると「ちょっとストーブつけるか」という会話が普通に出る。

そして今は、北海道でもエアコンが必須と聞く。昔は考えられなかった変化だ。エアコンのない家で育ち、灯油タンクとストーブが生活の中心だった身からすると、時代はかなり変わったと思う。

札幌から室蘭まで、自転車で帰ったこともある

大学は札幌だった。そして実家は室蘭。距離にすると150km弱ある。今思えばかなり無茶だが、大学生の頃、たまに札幌から室蘭まで自転車で帰ったこともあった。

この話をすると驚かれることが多い。「150kmを自転車で?」と言われる。たしかに普通に考えればそうだと思う。ただ、北海道にいると、距離の感覚が少し変わる。広い土地の中で生活していると、「遠いけど行けなくはない」という感覚が自然に身についてくる。

しかも途中は、本当に何もない。延々と道が続く。景色は雄大だが、店も街も密集していない。人によっては不安になるかもしれないが、あの「途中に何もない感じ」こそが、北海道のスケール感を一番よく表している気がする。

北海道の魅力は、ただ景色がきれいというだけではない。距離の取り方、道の長さ、空の大きさ、そういう一つ一つのスケールが違う。札幌から室蘭まで自転車で帰った経験は、今思えばその北海道らしさを体で感じた時間だった。

札幌の楽しみは、ビール園とジンギスカンだった

札幌での大学時代を思い出すと、やはり食と酒の記憶が強い。札幌にはビール園がいろいろあり、気分によって店を選んでは、食べ放題・飲み放題でジンギスカンとビールをたらふく楽しんだ。

北海道のジンギスカンは、観光客向けの名物というより、もっと生活に近いところにもある料理だと思う。鉄板の上で肉を焼き、煙と匂いの中でビールを流し込む。シンプルだが、あれはたまらない。

しかも札幌には、ビールを楽しむ場そのものに北海道らしい空気がある。酒を飲むこと自体が目的というより、「うまいものを囲んで、思いきり楽しむ」という感覚が強い。学生の頃の俺にとって、ああいう場所は少し大人の世界でもあり、北海道の豊かさを感じる時間でもあった。

北海道は魚介のイメージが強いが、ジンギスカンとビールの組み合わせは、道産子の記憶の中ではかなり上位にくる“北海道らしさ”だと思っている。

余市のウイスキーも、北海道の楽しみの一つだった

北海道の魅力は、食べ物だけではない。酒好きにとっては、余市の存在も大きい。あのあたりまで足を延ばすと、北海道の空気の中でウイスキーを味わうという、また別の楽しみ方がある。

若い頃は、札幌のビール園のような賑やかな楽しみ方も良かったが、少し年齢を重ねると、こういうウイスキーの時間の良さも分かってくる。北海道の冷たい空気や静けさは、ビールの爽快さとは違う形で、酒をうまくする。

北海道という土地は、自然が大きく、季節がはっきりしている。そのせいか、酒も料理も妙に記憶に残る。余市のような場所に行くと、「北海道のうまさ」は単なる食材の話ではなく、土地の空気ごと味わうものなのだと感じる。

外に出て初めて、北海道の価値が分かった

子供の頃は、北海道の良さなんて深く考えたことはなかった。涼しい夏も、灯油タンクのある家も、5月のストーブも、広い道も、全部が当たり前だったからだ。

だが、人は外に出て初めて、自分がいた場所の輪郭を知ることがある。北海道もそうだった。外から見ると、北海道はたしかに特別だ。だがその特別さは、観光地としての派手さだけではない。生活の感覚そのものが、少し違うのだ。

室蘭、函館、札幌と移りながら育った俺にとって、北海道は一つのイメージでは括れない。工業の街の空気も、港町の雰囲気も、都会としての札幌も全部知っている。だからこそ思う。北海道の魅力は「広い」「うまい」「きれい」だけではない。

北海道は、住んでみるとそうでもない部分もある。寒さは厳しいし、距離は長いし、冬は面倒だし、不便なこともある。でも、その不便さや厳しさを含めて、北海道という土地はどこか人の記憶に残る。きれいごとだけではないからこそ、逆に本物の魅力があるのだと思う。

まとめ

北海道は、たしかに日本人が憧れる場所だと思う。だが、道産子として言うなら、その魅力は観光パンフレットに載る景色やグルメだけではない。エアコンのない家、灯油タンク、5月のストーブ、夏の海、長い道、自転車で帰れる気がしてしまう距離感、ビール園のジンギスカン、余市のウイスキー。そうした生活の断片にこそ、北海道のリアルがある。外から見て美しいだけじゃない。中で暮らしていたからこそ分かる、少し不便で、でも忘れがたい土地。それが、俺にとっての北海道だ。