【ドラマ】『御上先生』(2025年) 権力に侵された日本教育をぶっ壊す!? | ネタバレあらすじと感想

TVドラマ

📄 作品情報

  • 脚本:詩森ろば、畠山隼一、岡田真理
  • 演出:宮崎陽平、嶋田広野、小牧桜
  • 出演:松坂桃李、吉岡里帆、奥平大兼、及川光博 ほか
  • 製作:TBSテレビ
  • 放送期間:2025年1月~3月
  • 放送時間:日曜21:00~21:54
  • ジャンル:学園ドラマ、社会派ドラマ
  • 視聴方法:TVer、U-NEXT など

📝 各話ダイジェスト

第1話 破壊 -destruction-

文科省の官僚教師・御上が隣徳学院3年2組へ。最初の授業は正解でなく“問い”を配ることから始まる。
静かな波紋が教室に広がり、生徒の視線が少しずつ自分の内側へ向かう。

第2話 意識 -awareness-

神崎は不倫記事の当事者・冴島を追い、報道の責任と取材の不在を突きつけられる。
教室では記事を素材に討論が進み、試験会場の事件や文科省の動きとの関係が立ち上がる。

第3話 始まり -beginning-

御上は拘置所で殺人犯・真山弓弦と面会し、事件が社会に及ぼす影響を語り合う。
同時に御上の過去と“謎の青年”の正体が滲み、クラスの反発と変化が交差する。

第4話 運命 -fate-

冴島と試験会場の事件の関係が公に。神崎は責任に押されるが、御上は議論の場を整える。
“ヤマトタケル”名義のFAXが届き、是枝は自分なりの答えを掴み始める。

第5話 自信 -confidence-

御上と神崎は弓弦と再び向き合い、彼女の過去と動機の輪郭が明らかに。
生徒たちはビジネスコンテストに挑み、忖度の構図を越える提案を練り上げる。

第6話 告白 -confession-

週刊誌報道で御上の兄・宏太の件が露見。御上は沈黙を破り、自らの言葉で過去を語り始める。
教師という役割の内側にある傷が、授業の意味を更新していく。

第7話 妄想 -delusion-

三通目のFAXが波紋を広げ、文科省では津吹に悲劇。槙野の揺れが表に出る。
椎葉の問題が明らかになり、規律と生活の衝突に対し、生徒は自ら動き出す。

第8話 戦略 -strategy-

御上に文科省への帰還命令。成績低下を口実に保護者の不安が煽られ、クラスは連帯を模索する。
機密リークの人物が明るみに出て、御上と是枝は反撃に転じる。

第9話 ジョーカー -joker-

富永の「助けて」に駆けつけた御上と次元は、彼女の抱えてきた苦悩と向き合う。
冴島が語る校内の出来事、不正入学の名が明かされ、ヤマトタケルが姿を現す。

第10話 操り人形はあなたをコントロール出来ない -puppets can’t control you-

隣徳—霞が関—永田町の不正が一本の線に。千木良が巻き込まれていた事実の重さに皆が直面する。
卒業の日、最後の授業。御上は勝利ではなく“考え続けること”を託し、教室は次の社会へ開く。

📌 総まとめ

官僚教師・御上が、数値化と利権が支配する学校に「問い」を持ち込んだ物語だ。
不倫記事、試験会場の事件、ヤマトタケルのFAX、不正入学——点と点は線になり、やがて権力の構図が露出する。
御上は正解を配らず、考える場を守り抜いた。最後の授業で生徒は自らの言葉を持ち、社会を見る眼を得た。
これは“勉強”ではなく“学び”を取り戻すドラマだった。

💬 考察と感想

俺は『御上先生』を教育ドラマではなく制度ドラマとして観た。
教室の空気を揺らしていたのは生徒の悩み以上に、霞が関と永田町と学校経営が連結した巨大な“仕組み”だ。
御上は熱血で押し切るタイプではない。むしろ温度の低い現実主義者だが、だからこそ言葉に無駄がない。
彼が最初に配ったのは正解ではなく、問いと手順だ。
事実を拾い、仮説を立て、反証に耐えさせる。
授業は知識の輸送ではなく、思考の筋トレへと変わる。第1話のあの静かな開始から、俺は“日曜劇場”的カタルシスよりも“公共圏の再起動”を予感した。
実際、神崎のゴシップ記事が燃料になりかけた時、御上は断罪ではなく検証という作法を持ち込む。
怒りは速く、検証は遅い。
だが遅さの中にだけ、他者と共に生きるための仕様が宿る。
ここで俺は、このドラマの倫理を信用してもいいと思えた。 
兄・宏太をめぐる告白回は、教師という役割に突き刺さる刃だった。メディアは事情を切り刻み、過去は商品化される。
御上は沈黙を選ぶか語るかで揺れるが、最終的に“語りの主導権”を取り戻す。語らない自由も権利だが、奪われる前に自分で語ることもまた権利だ。
その姿勢を前に、生徒は内容以上に態度を学ぶ。言葉の運転免許を他人に預けないということ。俺はそこで、教育の一番地味で一番重要な部分が映っていると感じた。

椎葉の物語も忘れがたい。生理、貧困、ケア責任――生活が校則と衝突した時、御上は規律を否定せず文脈を足す。彼がやっているのは“救済”より“孤独にしないこと”だ。
救おうとするほど人は道具化されやすい。
彼は場を設計し、必要な時にだけ前に出て、余計な時は引く。やり過ぎないことほど難しいのに、彼はそれをやってのける。
俺はここに、官僚としての訓練と教師としての実践が融合した稀有なバランス感覚を見た。 
匿名FAX“ヤマトタケル”の線は、現実の内部告発文化に対する冷静な指針だった。
匿名は盾にも刃にもなる。御上は飛びつかず、検証の階段を生徒と一段ずつ上がる。
情報が公共性を得る条件を、物語は繰り返し練習させる。ここでクラスは“早い結論”から解放され、言葉の重さを引き受け始める。
文科省への帰還命令が出たあたりから、ドラマは数値化の暴力を正面から扱う。
点数は便利だが、意味を削る。御上は数値を否定しない。むしろ制度の言語を使って制度をたわませ、外部の評価軸を学びの燃料に転換する。
ビジコン回の処し方は見事だった。大人の忖度に合わせるのでなく、忖度を理解したうえで超えていく。
俺はそこで、この人物が“反権力”ではなく“反硬直”であることを確信した。
敵は人ではなく、硬直した仕組みだ。 

終盤、隣徳—霞が関—永田町が一本の線で結ばれ、不正入学や加害/被害の語りが更新される。ドラマは巨大な悪をやっつける爽快感に逃げない。
最終話で御上が掲げたのは、勝利宣言ではなく“最後の授業”だった。
考えることをやめないという約束を、彼は生徒に、そして視聴者である俺にも渡してくる。
物語が終わっても、問いは残る。その後の生活の中で、何度でも使い回せる種類の問いだ。 
総じて、『御上先生』は“勉強”と“学び”の差分を見える化した。勉強は点数に回収され、学びは生活に滲む。御上は後者を信じる。
俺もそうだと頷いた。派手な突破より、日常の筋肉を変えること。この地味でしぶとい方法論が、今の社会には必要だ。
御上はヒーローではない。正確には、俺の中のヒーロー像を更新する存在だ。問いと手順を渡して、あとは自分でやれと笑う。
耳が痛いが、気持ちのいい痛みだ。ドラマが終わってからも、俺は少し姿勢を正して歩けている。多分。

📊 ドラマとしての評価

本作の強さは数字が物語る。初回世帯視聴率は関東で12.2%。近年の日曜21時枠で象徴的だった『VIVANT』の初回11.5%を上回る“話題喚起力”でスタートした。以降は一時的な揺れを挟みつつも2桁前後で推移し、最終的なクール平均は10.74%という水準に着地している。配信併用視聴が当たり前になった現在、地上波のリアルタイムで平均2桁を維持するのは難易度が高い。それでも本作が“落ちにくく戻りやすい”曲線を描けたのは、
①第1話で鮮明な“問い”を提示し、SNS上でテキスト消費を促したこと、
②中盤で生活の困難(告白・貧困・ケア責任)に焦点を当て共感導線を広げたこと、
③終盤で不正の構図を回収し、社会的カタルシスへ運んだこと、の三段構えが効いたからだ。
視聴率の“群を抜く”とは瞬間最大風速だけではない。
初回の高さに引っ張られず、落ち幅を小さく抑え、節目ごとに回復局面を設計できたかどうかだ。
本作は広告主にとっても編成にとっても「毎週、語られる」安定供給装置になった。
数字は目的ではないが、作品の設計と視聴者の行動が健全に結びついた結果として高水準を維持した、という評価は揺るがない。

📘 シナリオブックの紹介

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