映画とモテの深い関係

◆映画とモテの深い関係

モテたい。昔も今も、男なら誰しも一度はそう思うもんだ。俺だってそうだった。若い頃は、雑誌を読み漁っては服装を変えてみたり、美容院で髪型を研究してみたり、ジムに通って身体を鍛えたりと、外見をどう磨くかに一生懸命だった。でも、ある時気づいたんだ。見た目だけで勝負しても、長続きしない。結局のところ、相手の心を動かすのは“中身”なんだって。

その“中身”を磨くのに、俺が選んだのが映画だった。映画ってのは、2時間で他人の人生を追体験できる装置だ。国境も時代も文化も超えて、様々な人の視点を、自分の感情として疑似体験できる。感動したり、共感したり、時には怒りや悲しみを感じる。そうやって何本も観ているうちに、自分の中にある言葉や感情の幅が、確実に広がっていくのを感じた。

会話の場面でもそうだ。映画を観ていると、話題の引き出しがとにかく多くなる。「この前観た映画でさ、主人公が…」なんて話をすると、映画好きじゃない相手でも自然と耳を傾けてくれる。そして、自分の感想や考えを添えると、「この人、ちゃんと感じて考えてるんだな」って思われる。これが、表面だけを繕っていた頃とは違う反応なんだよな。

さらに映画は、自分にない価値観を知るきっかけにもなる。フェミニズムを扱った映画を観れば、女性がどれだけ社会の中で葛藤してきたかがわかるし、戦争映画なら平和のありがたさに気づける。そういう視点を持って話せる男って、自然と会話の深みが出てくる。恋愛対象になるかどうかは別として、「もっと話したい」と思われる男になるには、こういう“内なる引力”が必要なんだ。

あと、映画は自分を見つめ直す鏡でもある。自分がどんな物語に惹かれるのか、どんなキャラクターに共感するのか――そこから自分自身の価値観や弱さ、理想が見えてくる。そうすると、人との接し方にも自然と誠実さが出てくる。無理をせず、自分の言葉で話せるようになったのも、映画をたくさん観たおかげだと思ってる。

例えば、『君に読む物語』のような一途な愛に泣けた夜もあれば、『ラ・ラ・ランド』の夢と恋のすれ違いに、自分の過去を重ねたこともある。そうやって映画の中で何度も“恋”を経験するうちに、自分がどう愛したいのか、どう向き合いたいのかがはっきりしてきた。これって、なかなか言語化できないけど、確実に“モテ”に効いてくるんだ。

つまり映画ってのは、心の筋トレなんだ。

感受性を鍛え、人間理解を深める。だから俺は、今日も映画を観る。モテたいから。でもそれは、表面的にちやほやされたいんじゃなくて、人とちゃんと心でつながれる男になりたいからなんだ。