怒りを伝える技術──3本の映画からの問い

怒りは人を変えるのか?──『ラストマイル』『御上先生』『ベッキー、キレる』に見る〈教育と復讐〉の境界線

人はなぜ怒るのか? そしてその怒りは、誰かを変える力になるのか──それとも壊すだけなのか。
ここでは3つの作品『ラストマイル』『御上先生』『ベッキー、キレる』を通して、「怒り」と「教育(変化)」の関係を比較し、その本質に迫ってみたい。

🎬 作品比較:怒りの形と向き合い方

  • 『ラストマイル』では、物流倉庫という無機質な空間で、静かな怒りが連鎖し、事件が引き起こされる。怒りは正義と共鳴し、やがて爆発的な破壊力を持つ。
  • 『御上先生』は、怒りを〈教育〉によって変化させることが可能であると示す。憎しみを「なぜそうなったのか」と問い直す姿勢が救いにつながっていく。
  • 『ベッキー、キレる』は、怒りがもはや制御不能な暴力へと変化した少女を描く。教育の不在、あるいは拒絶が生む過激な結果である。

🔍 共通するのは「感情の暴走」

どの作品にも共通するのは、怒りが外部要因によって引き出され、それが周囲を巻き込んでいく構図だ。
『ラストマイル』では社会構造、『御上先生』では家庭と学校、『ベッキー』では家庭崩壊と暴力的な侵入者──それぞれの背景が怒りを呼び起こしている。

しかし、その怒りを“どう扱うか”で物語は大きく変わる。教育という言葉には、感情を扱う訓練という側面がある。逆に言えば、それがなければ怒りは「爆発」しか道を持たない。

✍ 俺の視点から

俺はこの3本を観て、教育とは「怒りを伝える技術」でもあると気づいた。
『御上先生』のように、怒りを知性に変換して届ける術を持つ人間は、他人を変える力がある。逆に『ベッキー』のように、怒りが爆発の形でしか出せない人間は、どれほど正義を持っていても破壊しか残さない。

怒りを否定する必要はない。ただ、その怒りを「どう使うか」を学ぶ──それが教育の本質なのかもしれない。

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